all creation; all nature; all the universe

昭和、平成、令和と3つの元号に跨り、911、311を経験。そして今私たちは目に見えない疫病によって世界の記号を書き換えられています。記号の移り変わりである時代の目撃者。歴史の証人でもある私たちに迫られているのは、

この記号をどう読み解き、どう運用していくのか

という“選択”です。損得、善悪、審美の判断も含めて、突き詰めると「どう生きるか」といった死生観に帰結すると私は捉えています。もちろん会社の経営においても同様です。選択の積み重ねが歴史となって、顔を創っていく。そして、引き継がれていくからです。資産になるのか、負債になるのかは選択次第でありますが、もっと言えばそれ以前の設計によるところが大きいでしょう。

設計といっても大袈裟なものではありません。個人の生き様、組織の在り方、価値観。どういう死生観で、どう生き抜くのか。何を優先し、重んじるのか。内なるものに耳を傾け、自分より大なるものを信じているのか、それとも自分を基準においているのか。そういった態度から世界の記号を解釈し、目的のために描く具体的な宣言、心構えであります。このような時勢ですから、様々な角度から選択のベースとなる設計を見直しアップデートできるでしょう。問われているのは、今この瞬間、どう生きていくのかというシンプルな問いだと思うのです。

どう生きるか=どういう終わりを描いて記号を運用していくか

と分解して具体化を進めていくときに、組織におけるテーマの見出し、ゴールの設定、活動理由は終わりを描き、逆算することで輪郭がはっきりする事は良くあることです。ラグナロクをはっきりと捕まえているのならば、ブレることのない一貫した態度で選択をできる余裕を生み出します。結末を捉えている事で余裕が生まれ、設計を俯瞰して評価し、指針を強固なものに変えていく事ができるようになるのです。

新規事業の立ち上げにおいても、既存企業の立て直しにおいても、この事業をどんな企業がどのタイミングでどのように評価し、欲しがるのかという売買(bye-byeという記号)を視野に入れる事でグランドデザインに奥行きが生まれ立体的な力強さが生まれる事はよくある話です。

熱い情熱を持っていても、冷静沈着な頭脳を持っていても、たくさんの信頼を獲得できていたとしても、しっかりとした設計図を手にし、迷わぬ指針を持っていなければいつか尽きてしまいます。情熱の薪を焚べ、沈着な知性でジャッジしていくにはそもそもの設計、指針が必要だという事は以前から明らかな事ではありました。逆に言えば、個人においても、組織においてもコアにあるものをはっきりと捕まえて、原理原則に基づいた指針を持ち合わせていればこのような事態であっても大きく狂うことはありません。仮に狂ったとしても、元に戻っていける軌道修正力が備わっているので狼狽える事はないでしょう。

コマーシャルなものとラグジュアリーなものがはっきりしてくるこれからの世界。繰り返しになりますが、情熱と知性、そして培ってきた信頼を活かすためにはコアから導き出された選択が左右すると私は考えています。選択の連続が在り方となり循環していくからです。社会のルールが変わり、元に戻ることはもうないというのは私が言うまでもありません。精神と自然の相克に対峙し、新しい記号の運用を迫られている。私たちは共に学び、助け合いながら歩んできました。そして、選択と解釈の自由があります。全ての記号が書き換わる今こそ、しっかりと捕まえなおして、学び、深め、確認し、一貫した態度で臨みたいものです。

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