チスイコウモリ。南米に生息する小型の吸血性のコウモリである彼らは群れをなして生息し、動物の血液を唯一の食料としています。血液を吸う量は少なく、動物を殺すことはないそうです。睡眠中の豚からこっそりと血を頂く動画をYouTubeでも見かけました。
彼らは洗練された社会生活を送っていて、これからの時代を生き抜くヒントがたくさんみられます。コミュニティの運営、企業のマネジメント、これからのビジネスの在り方の手がかりが見え隠れします。
二晩食事にありつけないと餓死してしまうチスイコウモリは、食事のありつけなかった仲間に対して「血の吐き戻し」をして分け与える習性があるそうです。こんな興味深いデータを見かけました。満腹時のコウモリが体重の5%の血液を飢餓状態のコウモリに分け与える。血を与えたコウモリが餓死するまでの残り時間が7時間しか減少しないのに対して、残りわずかで餓死しそうになった血を与えられたコウモリは約18時間も増加するらしい。同じ量でやりとりしてもコミュニティ全体のパフォーマンスがこんなにも違うというのです。
さらに興味深いのは、他の個体に普段から積極的に分け与える親切な個体は自分が飢餓状態になった際に他の個体に血を分けてもらいやすいそうです。普段親切な個体がたまたま分け与えれない場合は容認してもらえるみたいで、たまたま分け与えることができなかったとしても関係悪化にはならない。分け当たえたいけれども蓄えのなかった個体が食事ができるようになると普段以上に血を分け与えるようになることも分かっているそうです。学びとして、、、
いつも助けてくれる仲間がたまたま助けてくれなくても気にしない
というのはリレーションシップの本質なような気がします。どれだけ普段から信頼残高を増やしておけるかですね。一方で、あまり血を分け与えない個体は自分がピンチのときは助けてもらえないことも分かっています。しっぺ返しの原理が息づいているそうで。
つまり、チスイコウモリは困ったときに誰を頼ればいいのかを常に意識していて、関係が悪化しそうになると修復するような行動がプログラミングされている。血を分け与える行動は1回限りのものではなく、中・長期的な社会的相互作用ということが明らかだそうです。この「利他行動」は自然に群れの中に浸透していて、当たり前の戦略として採用されています。興味深いのは「仲間を助けない個体」が進化上、完全に排除されていない点です。ピーター・ティールの偏狭な利他主義と寛容な利己主義を思い出しますが、コミュニティ崩壊の保険という意味でも〝嫌われ者のアウトサイダー〟は必要なのでしょう。多様性の騒がれている昨今ですがコウモリたちの生態から相互活動の本質を見てとれます。
ビジネスはリレーションシップである
と誰が言ったのか忘れましたが社会の分断された今はこれまで以上に「関係性」が重要になってくるのは明らかです。一度売って終わり、一度きりの取引でサヨナラ、ワンナイトのお付き合いは前時代の価値観。海外のお土産物屋さんでぼったくりが成立するのは一回切りの関係でもう2度と会わないから。関係性の希薄さ、距離感の曖昧さ、顔の見えない不気味さが搾取構造を維持していますが適度な距離、交換だけでない贈与、一回だけでは終わらない間柄、複雑な時間軸などが強い文脈として意味を持ってきた今では構造が入れ替わりつつあるのです。
会社の在り方も同様です。ビジネスのために相手を手段化するのが今までの在り方、考え方だったかもしれませんが社員やクライアントを手段化しなくなり、無茶な規模で求めず、長いタームで考えるのがデフォルトのマインドセットになってきているように感じます。来月までに売上1000万円を作ってこなければクビ!結果がでなければ減給、出れば昇給!みたいな古めかしさは外部的なスケール、一時的なカンフル剤として機能しても内部崩壊を助長します。
派手で見かけは良さそうなのだけど、内部で折れかけてて危うくない?
という組織再生の相談もありますが根腐れがしていないのか、ただ葉が一時的に枯れているだけなのか、慎重な見極めが戦略を決める前提として大切になってきます。ポスト資本主義の答えはチスイコウモリが持っているかもしれません。
PS:
ふつうのコウモリが生後1カ月ほどで独り立ちするのに対し、チスイコウモリの子育て期間は9カ月と長い点も興味深いです。人間を人間たらしめているのは長い未成熟期間という考えを思い出しました。未成熟ゆえに何にでもなれる。利他行動が結局自分を助けていくのです。