Today is the day.The future is now!

私たち人間は生まれながらにして洞窟の奥底に鎖で繋がれた囚人です。洞窟の壁面のみを見つめて生きています。縛られているので背後の入り口側から入る光を直接見ることはできず、光によって照らされた影絵の映った壁面を見て生きています。自分の背後にある太陽の存在を知らないので、影の世界が真実だと思ったまま生きているのです。

ある日、囚人の鎖が解かれ、後ろを振り向く事になります。太陽の眩しさに目を眩ませますが目を慣らしていく事でやがて太陽を認識できるようになります。太陽の存在を知り、今まで信じていた影絵の世界が巨像だったと気づくのです。

・・・これは哲学史上、有名な洞窟の比喩。個人でも組織でも信じているものが必ず何かあるはずです。ですが、それはもしかしたら照らされた影絵かもしれません。洞窟に引きこもって、影絵を見つめる人生を悪いと言っているわけではなく、真実は洞窟の外にあるという事。時代や文化、国境を超えた真理探究を私たちは忘れていません。なぜなら、魂は覚えているからです。

テレビのニュースやネットの情報、SNSでの話題など偏った世界が全てだと錯覚してしまいがち。今はこんなのがウケるぞ、これの方が映える、こっちの方がいいね!をたくさんもらえる、、、と振り回されしまうのは「太陽」を観たことがないから。そして、太陽を知ろうとしないからです。背後に興味を持つこと、影絵に疑問を持つこと、異なる世界戦を信じること。それは一つのアティチュードであり、メンタリティ。生き方の表れ、存在証明とも言えるでしょう。トレンドを追いかけるのもいいでしょう。ブームに乗るのもいいでしょう。誰かの顔色を伺って、耳を傾けることもいいでしょう。ただ、それは作り物でしかないのです。

安易に迎合せず、とことん疑うこと。それこそが現代を生き抜く記号の運用の醍醐味だと私たちは考えます。

PS:

行きつけの蕎麦屋の大将とこんな会話をしていました。

「更科を打てない蕎麦屋さんが多いのは経験が足りないからですか」
「いや、経験だけじゃ打てないよ」
「では、やはり知識が必要なんでしょうか」
「知識はいらないね。いるのは勇気だよ」

知識や経験ではなく必要なのは勇気。もし私たちが鎖で繋がれた囚人でなく、自由な囚人だとしたら、自分で扉を開けた物語だからこそ、最後まで進み続ける勇気が必要なのかもしれません。

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