genius or insanity

いつの時代もどこの国でもどの人種でも、天才と狂人は紙一重。当人のリアリティ、クリエイティビティ、活動のエネルギーと社会の評価は必ずしも一致するものではなく、時代の様相によって変わることもしばしば。時代や文化を超えていく普遍的なものもありますがやっぱりそういった異常なものは野蛮な狂気を孕んでいますよね。そして、それはある種の美しさとして多くの人を圧倒し、魅了します。

そういった本物の断片に触れて、オレもやるんだ!と意気込むものはいいものの、、、あれこんなはずじゃなかったという現実の壁に翼を折られてしまう人をみかけます。職業柄、相談に乗ることも多いので、もっと内なる声から滲み出る狂気がないと無理だよ、とよく思うものですが、そんな事を言っても身も蓋もないので面と向かって言うことはほとんどありません。無理な理解も求めていないのですが、大切なことなので、こうしてここで告白しておこうという算段です。外的モチベーションだけでは、そりゃ無理ですよ。

わかりやすい表現をすると、

君もロックスターになれるよ!

とは言えないってことですね。その人のテーマに合わせたアプローチが必要なので、本人の意思は尊重しつつ、もっと相応しい場所、輝ける役割、優先すべきことがあるんじゃないのかという事を私の個人的見解としてそっとお伝えしています。

社長が望むならとことん付き合いますよと割り切ってビジネスライクにやるのも大人の嗜みなのかもしれませんが、嘘のコストを増幅させてしまいますから、勝負するよりも手堅いリアリティを選んでしまうのが現実です。ロックスターを目指す気持ちもわかる、ここまでの努力もわかる、あと一歩と感じてしまうのもよくわかる、、でも道はそれだけじゃないでしょって事を伝える役目を任せられる事が多いのです。

世界観や感性が近い人は近いけど、合わない人とはとことん合わない。

というのはひとつの大きな原則だと考えていまして、同じようなメガネをかけているならば話が早いのですが、そうでなければ共通の地平を見出すのがこれまた大変で。どうにかして欲しいと現場から声が上がっても改善が見込めない案件があるのもこれまた事実です。良い素材が揃っているのに上手くいかない、、、ディレクションもマネジメントもボロボロというのはそもそもの配置の問題と役割を間違えた錯覚が要因であったりもします。

クリエイティブディレクターもプロジェクトマネージャーもリーダーもそもそもの素地が必要で、自分が何をやりたいのか、目指すのかというよりも、どこで一番輝くのかという視点でみる方が案外すっきりします。いったい周りから何を求められているのでしょうか。こういった視点がブレイクスルーのきっかけにもなりますから。

良いかどうかはポリスが決めるものとアリストテレス大先生が言うように、ロックスターを目指すのもいいんだけど、今君に求められているのはこれだよと伝えていく事が社会を良くするためにも、そして巡って個人にとっても良いように思います。ギブソンの提唱するアフォーダンスの観点から考えても説明的すぎるのも野暮ったいでしょうし、時代にもそぐわない。インダイレクトなメッセージで気づきを与えるデザインをしていく事が今の時代に求められるリーダーシップのひとつの素養でしょうね。プロダクトデザインだけでなく、コミュニティデザインにおいてもUI/UXは無視できない時代になりました。もちろん“狂気”はお忘れなく。

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