To be, or not to be

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と言う宮沢賢治の言葉にあるように、個人の幸福を達成するためには世界の幸福を前提にしないといけない。

国内外における諸問題へ目を向けないといけないのは確かなのですが、まず大切な事は自分にとっての半径2メートル。“世界”の規定でしょう。“世界”を会社や学校としてもいいでしょうし、所属するコミュニティで考えてもいい。もちろん家族でもOK。自分にとっての“世界”を規定することでリアリティが生まれ、自分毎に考えられるようになることが全体を考える上で大切な第一歩だと思うのです。

会社や学校、コミュニティ、家族、、、その“世界”全体が幸福にならない限り、個人の幸福はあり得ないということ。利己的・利他的の話にも通じますが、自分個人の快適さ、幸福を追求するときに環境作りは欠かす事が出来ないというのと似ていると思います。組織への不平不満を述べる前に、自分もその組織の一部であり、環境要因のひとつであるということをしっかりと理解しないといけないし、人生を豊かにしていくにあたって自分の身の置いているコミュニティをより良くしていくこと(し続けること)は必須ででしょう(もしくは所属する環境そのものをガラッと変えるか)。意識するしないに関わらず、望む望まないに関わらず世界と自分は環境と相互依存にあるのです。

そうですね、生物学のオートポイエーシスがヒントになるかもしれません。1970年代初頭、チリの生物学者ウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・バレーラにより提唱された概念であり、馴染みの方も多いかもしれません。すごく大雑把に言ってしまうと、自己で自己をつくるということ。自己生産され、入力も出力もないとされていますが、個人的には出力がそのまま入力になっていると捉えています。有機的な組織の特徴としては個人が生き生きとして組織そのものを育んでいるように見えるのはオートポイエーシス概念によるフレームです。自分の発信がコミュニティの発展にもつながり、全体のステージが上がれば自分の利益も大きくなる、、、そんなイメージです。

社会システム論に置いて構造的カップリングとドリフトという概念で深化され、哲学やアートの分野でも取り入れられてきました。経営においても例外ではありません。2020年を迎え、より大切な視点になってくると私は考えています。

入力も出力もなく、自己生産されるのであれば、他者は不要かというとそうではなく、

相互に自立的で閉鎖的でありながらもう一方の環境であり続けている

という事は忘れずにいたいところです。環境に最適化するのではなく、ただ適応するのみ。環境に対してそれぞれ異なる意味を持って存在し、影響しあっている。システム間の一定の依存性/非依存性の関係を表していると言えますが、組織においてどう生きるのかというのは個人的な話ではなく全体にも関わってくるという自然な話です。プロジェクトにおいてもボトルネックに左右されるというのは皆さん経験済みかと思います(繰り返しになりますが自分も環境要因であるということ)。

自分勝手に生きる、あたしはあたしらしく選択する、、、そんな風に思考するのも発言できるのも環境あってこそでしょうし、その発想、チョイス、行動が所属しているコミュニティの未来にも影響するということを忘れてはなりません。環境依存であり、同時に環境の一部である。そして、日々環境を創っているということ。今、目の前に起きている事象でさえも自分が引き起こしたことなのでしょう(スピリチュアルな話ではありませんよ)。

全体の幸福を達成して、初めて個人の幸福も訪れる。「オレはオレの主君だ!オレはオレの神だ!」と叫ぶのもカッコいいですけどね。結局は枠組みの一部なわけですから。

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